横浜の川を歩く1 今井川

今井川は帷子(かたびら)川水系に属する、全長が5590mの二級河川である。源流は環状2号線の高架下だが、以前は850mほど上流まで川が続いていた。その部分は雨水管線として暗渠になったが、地元住民や今井小学校5年生児童などの要望により、埋め立てられた区間が「今井川いこいの水辺」としてよみがえった。

この区間を今井川に含めるとすると、源流は神奈川県立商工高校の裏手あたりになる。

 

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環状2号線下の暗渠から流れ出す今井(いまい)川源流 。横浜市の「だいちゃんマップ」を見ると、周辺住宅地からの雨水が集中してここに流れ込んでいるのが確認できる。

 

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源流のあたりは人が近寄れない藪になっている。

 

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鎌倉橋(源流から200m)。

鎌倉橋が架けられている道は人通りがほとんどない裏道だが、付近では各所から縄文時代の遺跡が見つかっており、古くから開けた場所だった。

この先の今井街道を横断し、少し登ったところに今井砦址がある。 昭和30年、この場所から常滑)焼の大きな甕が掘り出され、その中には、約400kgもの大量の古銭が入っていた。出土した古銭は中国からの渡来銭で、鎌倉期から戦国時代にかけて使用されたものだった(横浜市保土ケ谷区ホームページより)。後北条氏の砦が築かれていたのかもしれない。

今では忘れ去られた道だが、かつては鎌倉往還の脇道として利用された、主要道路だったのだろう。

 

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鎌倉橋の手前から川らしくなってきた。

 

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田嶋稲荷神社(源流から320m)。

旧村社である子(ね)神社の末社で、2月には田嶋稲荷の初午祭が子神社で執り行われる。稲荷社らしい赤い幟がたくさん奉納されているが、幟には、旧家の方たちのお名前がずらりと並んでいる。古くは今井村であったこの地域の、五穀豊穣を願う神社なのだろう。

 

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450m地点。建物をぬうように、曲がりくねりながら流れていく。 

 

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740mあたり、水門の左手に遊水池がある。

 

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相模鉄道バスの 今井橋バス停。川は橋をくぐって今井街道の向こうへ。

 

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再び今井街道の下を抜けると、その先は未整備の状態だ。

 

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1350m地点からは、JR東海道・横須賀線と並行して流れる。

 

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1630m地点で直角に折れて線路をくぐる。レンガ積みの由緒ありそうな水路だが、向こう側が立入り禁止区域なので近寄って確認することができない。

 

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2330m地点の元町橋を境にして、下流は河岸が整備された。

ここから帷子川合流地点までの3km余りは、旧東海道と並行して流れていく。

右手の盛り上がったところは蛇山で、東海道分間延絵図にも描かれているが、宅地開発により縮小した。東海道巡りのランドマークとして、残しておいてほしい景観である。その向こう側を国道1号線が通っている。

 

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保土ケ谷区内を流れる今井川には、カルガモがたくさん生息している。区民から親しまれており、平成元年に保土ケ谷区の鳥に指定された。

 

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今井川の氾濫を防ぐため、平成16年に「今井川地下調節池」が完成した。直径10.8m、長さ2000mの地下トンネルに、178,000トンの水を蓄えることができる。このトンネルは、国道1号線の狩場インターから権太坂の最高地点あたりまでの地下約60mのところに作られている。

箱根駅伝で2区(9区)を疾走するランナーたちの足もと深く、誰も気づかないところで横浜市民の生活を守っているのだ。

 

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今井川地下調節池の取水口は源流から2600mの地点にある。右を流れるのが今井川で、水量が増すと中央の隔壁を越えて左の取水口に流れ込む仕組みになっている。ここで砂などの不純物を取り除かれた後、氾濫水はトンネルに貯えられる。

 

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今井川地下調節池管理棟。この建物の地下深くに揚水ポンプが2基設置されており、増水がおさまったら、トンネルに溜まった水を今井川に排水する。

 

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今井川地下調節池排水口。左手に管理棟がある。2800m地点。

 

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管理棟のある場所には、今井川の横に遊水池も作られており、二重の治水対策が施されている。

 

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一里塚と上方見付の案内板(3400m地点)。このあたりが東海道保土ケ谷宿の西端、上方見付だ。一里塚もあった(東海道分間延絵図)。

 

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案内板の向かいには、今井川をはさんで外川(とがわ)神社がある。幕末の頃、出羽三山講の講元で先達でもあった淸宮輿一が外川仙人大権現を勧請して祀ったのがはじまりで、明治2年の神仏分離令のとき祭神を日本武尊に改め、社名を外川神社とした(外川神社御由緒)。

境内には道祖神社、稲荷社も祀られているが、横浜市史稿(昭和10年)によれば、鉄道敷設のときに宿内から移設したのだそうだ。

 

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外川神社横の今井川に向き合う位置に、湯殿山供養塔などが建っている。境内には他に「小寿鶏放翔感謝之碑(コジュケイほうしょうかんしゃのひ」もある。狩猟鳥を増やす目的で、農林省が1919年に中国から移入し、東京と神奈川に放したのが、日本でコジュケイが繁殖したきっかけだった。そのことを記念し、昭和36年に建てられた。

そういえば、このあいだ久良木公園を散歩していたら2羽のコジュケイを見かけた。横浜では、まだ棲息しているようだ。

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3930m地点の保土ケ谷宿刈部本陣跡。

保土ケ谷宿は、刈部家が代々本陣を勤めていた。今井川とも深い関わりがあって、「保土ケ谷ものがたり」(保土ケ谷区制五十周年記念誌)によると、むかしの今井川は、保土ケ谷の中之橋のところから、往還を横切って天徳院前を流れて帷子川に合流していたので、川の流れが屈曲甚だしく、二、三日の降雨にあえばたちまち氾濫するという具合で、宿内の悩みだった。そこで、十代目刈部清兵衛(1793-1865)が幕府に河川改修の嘆願をしたが入れられず、一切を宿内の費用でやろうと決心して、とうとう嘉永6年(1853)から7年にかけて新川開さくのことをなし遂げた。掘った土のやり場に困ったが、清兵衛翁が知恵をめぐらせ、品川台場の盛り土として売り払った。

現在の今井川は、刈部本陣前の保土ヶ谷橋で左に折れてからは、河口までほぼまっすぐに流れているが、これは刈部清兵衛翁の功績なのである。

保土ケ谷にすぎたるものが二つあり 帷子(かたびら)の名と刈部清兵衛

という歌が残っている。

 

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東海道と金沢道の分岐である金沢横丁に建てられた道標。東海道にはたくさんの遺跡が残っているが、その中でも特に知られたスポットだ。以前は通行量の多い道路に面したところにあって破損する心配があったが、ビルを建て直すとき、オーナーの市野屋さんが敷地内の安全な場所に移設してくださった。「保土ケ谷宿 お休み処」も併設され、観光客への配慮が行き届いている。

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保土ヶ谷駅西口駅前の下を流れる。上は駐輪場だ。右手に駅舎があるが、駅前らしい風情は感じられない。

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正面の左に、駅への階段がある。川は駐輪場の下を流れている。

 

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4500m地点に、水位標識があった。

 

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5200m地点。完璧に整備され、川というより水路のようだ。

 

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相模鉄道線の下を抜けると、いよいよ終点だ。

 

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帷子川との合流地点。今井川の旅はここで終了する。

(2020年6月記)