横浜の川を歩く3 侍従川

侍従川は、横浜市金沢区朝比奈の森を源流として平潟湾に流れ込む、全長約4000mの川である。大道橋の下流端から河口までの2620mは、神奈川県知事管理の二級河川に指定されている。
侍従川の名は、小栗判官・照手姫の伝説と深く関わっている。藤沢市遊行寺に伝わる「小栗略縁起」によると‥‥‥

小栗判官を毒殺しようとした横山大膳のもとを逃れ六浦まで来た照手姫は、とうとう追っ手に捕まり身ぐるみをはがれて川に投げ込まれた。観音様の功徳によって助かるのだが、姫を探しに来た乳母の侍従は姫を見つけることができず、絶望して川に身を投げてしまった。それから、この川は侍従川と呼ばれるようになったといわれている(楠山永雄「ぶらり金沢散歩道」より)。 

古都鎌倉に近く、広重の浮世絵で有名な金沢八景景勝地(内川暮雪)としても知られる侍従川は、史跡や伝説に彩られた歴史の川だ。

 

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侍従川にはたくさんの支流が流れ込んでおり、「ここが源流」という場所を指定することができない。「タウンニュース金沢区磯子区版」に掲載されたNPO法人横濱金澤シティガイド協会の記事によれば、源流は「朝比奈峠の熊野神社付近」とのこと。今回の探訪ではグーグルの地図を頼りに、横浜横須賀道路朝比奈IC出口付近が源流の一つと判断し、現場を訪ねてみた。

ところが、川は暗渠になっており、源流を見ることができない。そこで、もう少し下流に移動し、川が見える場所を探した。

 

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スタート地点から250mほど下った藪の中に、暗渠からの出口があった。四角い出口の左右にも排水管があり、特に右の管は水量が豊富だ。個人的には、ここが源流にふさわしいと思った。

 

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320m地点。くの字に折れて手前に流れていく。人の入ることができない藪の中だが、石垣が築かれており、昔は道だったのかもしれない。朝夷奈切通し方面からの小川が、左手から合流している。

 

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下流に向かって左手は、山のように高い崖だ。地層がむき出しになっている。四角くえぐられた穴が横一列に連なっており、柱穴のようだがよくわからない。

 

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侍従川に沿って走る環状4号には、朝比奈バス停付近から朝夷奈切通しへの分岐がある。ところが、昨年の台風により落石があったらしく、通行止めになっていた(2020年9月11日現在)。

朝夷奈切通しから環状4号を通り、六浦から瀬戸神社へ至る道は、鎌倉下の道で、中世の幹線道路だ(芳賀善次郎「旧鎌倉街道探索の旅2 中道下道」)。※下道のルートについては異説もある。

 

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環状4号の下を抜けて、南側に流れていく。

 

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しばらくは水路のような味気ない流れが続くが、三信住宅入口交差点近くから川らしい風景になった。

 

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大道中前バス停横に鼻欠地蔵がある。風化してしまい、どこが地蔵かわからないが、説明の看板に「江戸名所図会」の挿絵が載っているので、面影を想像することができる。

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1050m地点で、左から支流が合流する。

 

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「ふるさと侍従川に親しむ会」が、川に棲息する生き物の観察や清掃など、様々な活動を行っている。侍従川は地域の方々から愛されているようだ。

この看板の枠は、新しくしたほうがいいと思う。

 

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源流から1300m付近の大道橋。ここから河口までの2620mが、神奈川県知事管理の二級河川に指定されている。つまり源流から大道橋までは普通河川だ。

 

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大道小学校付近。護岸が整備され、川幅が広くなってきた。

 

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源流から2300m付近の侍従橋。ここで鎌倉下の道は侍従川から離れ、上行寺(じょうぎょうじ)方面に北上していく。

上行寺の裏山には、「徒然草」で知られる吉田兼好が一時期住んでいたそうだ。彼が六浦あたりに居住していたことには史料の裏付けがあるので、信憑性が高い(WEBサイト「記恩ケ丘」内の記事「郷土史研究 金沢八景に住んでいた吉田兼好」)。

また、上行寺付近からは「上行寺東遺跡」という、中世のやぐら群(墓地)が発見され、マンション建設のために破壊されたものの、一部は復元されており、見学することができる。

 

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平潟湾まで1400mの地点。汽水域なので、ボラの群れが気持ちよさそうに泳いでいる。40cmほどのエイも見かけた。

 

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京浜急行逗子線の赤い車両が通り過ぎていく。

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踏切を越えると、庚申塔が二基建っていた。これは三艘(さんぞう)の庚申塚といい、右は寛文十年(1670)、左は享保九年(1724)の建立だ。(横濱金澤シティガイド協会のWEBページより)

 

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神奈川県が管理する区間には、きれいな看板が建っている。向こうに見えるのは、京浜急行逗子線の鉄橋。

 

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こちらは京浜急行本線。京急逗子線とはスピード感が違うような。

 

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平潟湾から900m地点の内川橋。この広い道路は、横浜と横須賀を結ぶ横須賀街道だ。

 

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内川橋の欄干にはレリーフが取り付けられ、雁があしらわれている。金沢八景のひとつ、平潟落雁(ひらかたのらくがん)である。

 

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河口から2番目にある雪見橋の向かいに、内川暮雪(うちかわのぼせつ)を紹介するタイルプレートがあった。左手の小山は金龍院九覧亭で、右には野島が見えている。

 

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河口に架かる平潟橋。小川だった侍従川が、2000mも行かないうちに堂々とした大河になった。潮の干満により大量の海水が流れ込むため、河口が広くなっているのだろう。

 

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黄色いブイの浮かんでいるところが侍従川の河口。奥に見えるこんもりとした高台は瀬戸神社だ。

 

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河口の右手に見えるのは野島だ。野島には、旧伊藤博文金沢別邸や野島貝塚などの史跡があり、展望台からの絶景を楽しむこともできる。
野島に架かる橋は、金沢八景の一つ、野島夕照(のじまのせきしょう)から名付けられた夕照橋だ。

(2020年9月記)