横浜の川を歩く14 大岡川③(下流域)

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 大岡川は、延長約14kmの二級河川だ。円海山を源流とし、上大岡で日野川と合流して伊勢佐木町、野毛町、桜木町など、横浜の中心部を通って横浜港に注ぎ込んでいる。

今回は、横浜発展の基礎を築いた旧吉田新田の起点である日枝神社から河口までの、下流域をレポートしたい。

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 左が大岡川、右は分流の中村川だ。吉田新田は大岡川中村川に囲まれた地域で、この分岐を頂点とした釣鐘の形をしている。だから、ここが吉田新田の起点になる。吉田新田については、小学校4年生が学習する教材になっているほど、横浜では有名な歴史遺産だ。

吉田新田については、横浜市南区の南吉田町町内会が作成しているブログでわかりやすく紹介されているが、掲載されている「吉田新田の大堰」がこの場所なのだろう。

吉田新田ができるまで - 南吉田町町内会

 

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大堰があった場所の近くには、日枝神社と堰神社が建立されている。日枝神社は、吉田新田住民の守護と五穀豊穣を祈念して、吉田勘兵衛が寛文13年(1673)に建てた。日露戦争で勝利したことを記念して奉納された立派な狛犬が目をひくが、お約束のコロナマスクをしていた。
堰神社の創建年代は定かではないが、水に関する一切を守護する神として、大堰の傍らに祀られている。堰と咳が同音であることから咳の病に霊験あらたかであるとされ、今でも参拝者が絶えないそうだ。

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僧侶が使用する錫杖(しゃくじょう)を連想させる親柱が印象的な道慶橋。中村川との分岐点から下流へ670mの付近だ。

横浜市関東大震災によって壊滅的な打撃を受けたが、その後昭和2年から4年にかけて、新たな橋が次々と完成した。大岡川下流には13の橋が架けられ、総称して震災復興橋と呼ばれている。8橋が現存しており、道慶橋もそのひとつだ。中村川との分岐点から下流に向かって順に、山王橋、一本橋、道慶橋、太田橋、黄金橋、旭橋、長者橋、宮川橋である。

道慶橋親柱の飾りは1989年に制作された。作者は彫刻家澄川喜一で、彼は一本橋の欄干も設計している。

(出典:web「関東大震災の跡と痕を訪ねて 今に残る震災復興橋(その2)」)

道慶橋の脇に、道慶地蔵尊が祀られている。碑文には、「明暦元年(三百二十年前)相模国久良岐郡太田村字前里耕地(現前里町三ノ六五)にあった渡川口に雲水僧道慶師(出生地不詳)が立寄り附近住民の難儀を見聞し之を救わんと同所に祀ある地蔵尊に草庵をむすび日夜地蔵尊に祈願して托鉢を重ね幾多の困難辛苦の末遂に万治元年独力にて橋を造り両岸住民の難渋を救った。道慶師没後その遺徳を偲び両岸の住民有志相計り同橋を道慶橋と名づけ 師の信仰せる地蔵尊を道慶地蔵尊としてお守りし今日に至る」と刻まれている。

親柱に取り付けられた錫杖頭の輪っか(遊環)を揺すると金属が打ち合い、おごそかな音色が響く。聴く者を敬虔な気持ちにさせる、深い音色だ。

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伊勢崎警察署黄金町交番の屋根の上で猛禽類のマスコットが羽を休め、大岡川を見下ろしている。京浜急行で通勤・通学している方々にはおなじみの光景だ。この鳥は伊勢佐木警察署のマスコットキャラクターで、「イセタカ君」という名前である。神奈川県内の交番でモニュメントが設置されているのは、黄金町交番だけだそうだから、珍百景といえよう。「はまれぽ.com」の「京浜急行線の車窓から見える、ビルの屋上にあるワシの置物の正体は?」という記事ではイセタカ君の由来を深掘りしていて、とても面白い。私も、この記事でイセタカ君のことを知ることができた。興味のある方はぜひアクセスしていただきたい。

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末吉橋親柱の飾り。この橋も復興橋だったが、平成19年(2007)に架け替えられた。大岡川下流域には18の橋が架かっており(人道橋を除く)、親柱装飾にも意匠が凝らされているから、橋のデザインを見て歩くだけでも楽しい。

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黄金橋のたもとには日ノ出湧水がある。案内板には「野毛山の裾野に位置する日ノ出町周辺は、自然の湧き水に恵まれた地域で、明治の初めごろから、湧き水を利用した民間の給水業者が活躍し、横浜港に寄港する船舶に飲料水を提供していたと言われています」と書かれている。

野毛山の標高が47.3mというと低い印象だが、裾野が0m地帯だから、それなりの高さがある。周辺の高台も含めると1.5km×1.5kmもの広さがあり、その保水力はかなりのもので、山の反対側にあたる掃部山(かもんやま)からの湧水は「ぶらタモリ」でも紹介された。蒸気機関車や船舶用の水としても使用され、「横浜の水は赤道まで行っても腐らない」といわれたそうだ。

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大岡川は桜の名所としても知られている。遠くに見えるのは長者橋で、復興橋のなかでもひときわ美しいアーチ橋だ。

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 大岡川からは少し離れるが、長者橋と旭橋の中間点から70mほど伊勢佐木町方面に進むと、清正公堂がある。武勇で知られた加藤清正は開運の守護神(勝負の神様)として庶民の崇敬を集めており、野毛の場外馬券売り場から近いこともあって、競馬好きの聖地として知られている。「開運 勝馬」の看板が勇ましい。

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吉田新田を開墾したときに掘られた井戸が復元されている。京浜急行日ノ出町駅を降り、長者橋を渡った大岡川のほとりから神奈川銀行、清正公堂などがある一帯は、吉田勘兵衛の邸宅があったところで、この井戸は、その中央付近に掘られていた。200年にわたって、付近住民の飲料水となっていたそうだ。

第二次世界大戦で日本が敗れたあと、この場所は進駐軍に接収され、井戸も埋め立てられた。この井戸は、平成20年に復元されたものだ。

大岡川の対岸には、股旅物(またたびもの)の小説家として有名な長谷川伸の記念碑がある。若い方はご存じないかもしれないが、「一本刀土俵入」「沓掛時次郎」「瞼の母」「関の弥太っぺ」などの作品群は、舞台はもとより映画化され歌謡曲でも歌われ、昭和世代の人たちにはよく知られていた。上記の4作品は小林まこと氏がマンガ化し、講談社から出版されている。

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野毛の都橋商店街ビルを、大岡川方面と道路側から撮影した。

大岡川に沿って弧を描いた独特な形の建物で、平成28年(2016)、横浜市の歴史的建造物に認定された。戦後建築物の登録第1号である(「横濱新聞 33号」横浜市都市整備局都市デザイン室)。神奈川県立音楽堂や旧横浜市役所などの有名な建物をさしおいて登録されたあたりに、横浜市のこだわりを感じる。現在も、約60の店が営業し、野毛の名物となっている。

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横浜を代表する野毛商店街も、午前中は人通りがまばらだ。昼間から焼酎片手に、おじさんが焼き鳥をくわえながら競馬中継を見ているというイメージが強いが、最近は若者の街に様変わりしているらしい。

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桜木町駅を発車し、関内駅に向かう根岸線電車が川の上を通っていく。

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大江橋から河口を望む。桜木町歩道橋と弁天橋が見える。右岸の巨大なビルは、横浜市役所だ。関内の旧庁舎から2020年に移転した。

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市庁舎横の歩道からは、ランドマークタワーが見える。この付近にはワシントンのポトマック河畔から里帰りしたシドモア桜、横浜銀行集会所建物基礎、石造りの下水口、石積み護岸、航路標識管理倉庫基礎など、たくさんの歴史的遺物などを見ることができる。

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北仲橋からの眺め。大岡川は左右に分かれているように見えるが、この北仲橋が大岡川の終点であり、ここから先は海である。左の分岐は汽車道の第一号橋梁の下を通って国際橋、女神橋の先から横浜港に注ぐ。右は万国橋、新港橋を抜けて、豪華客船などが停泊する大桟橋に至る。

写真の右端には、2021年の4月から運行を開始するロープウェイが見えている。桜木町駅からワールドポーターズまでを約5分でつなぐ。水面に浮かぶバスのような乗り物は、みなとみらいの景色を陸と海の両方から楽しめる水陸両用バスだ。

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汽車道にはレールが残されている。桜木町駅の手前から分岐して横浜港駅まで続いていた廃線路をそのまま利用し、公園として整備した。ナビオス横浜をくぐった先に見えている赤レンガ倉庫の横に、横浜港駅があった。

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一般的には、ここが大岡川のいちばん下流と認識されている。2021年3月31日に全面開通した女神橋が見える。歩行者専用の橋だ。

当初は2020年7月の開通を予定していたが、橋桁が低くて観光船などが通れないことが判明し、橋をかさ上げしてスロープなどを作り直したため完成が遅れた。名前の由来は、正面に見えるヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの最頂部に飾られた女神像にちなんでいる。(ヨコハマ経済新聞2021.3.31)

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女神橋から上流を撮影した。前面にかかる橋は国際橋だ。ランドマークタワー、観覧車、帆船日本丸などが一望にできる、港ヨコハマを象徴する場所だ。みなとみらいの名物企画「ピカチュウ大量発生チュウ」では、観覧車がピカチュウになった。

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客船ターミナルのぷかり桟橋と横浜ベイブリッジ、そして土木遺産の横浜ハンマーヘッドクレーンが見える。

大岡川は観光地ヨコハマの中心部を流れているので、見どころ満載だ。ごくかいつまんで紹介したが、それでも長いレポートになってしまった。このへんで終了としたい。

(2021年4月記)