横浜の川を歩く18 和泉川

 

和泉川(いずみがわ)は境川水系の二級河川で、横浜市瀬谷区の「瀬谷市民の森」と周辺の湧水が源流である(「いずみ いまむかし」泉区小史発行委員会 平成8年)。総延長が9,510m(「横浜の川」横浜市道路局河川部)だから、境川水系の川としてはいちばん長い。そのうえ源流までを実測すると11km以上あるから、流域すべてをレポートするのはたいへんだ。そこで、源流域とめがね橋周辺、いずみ中央、境川遊水池付近を中心に紹介したい。

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源流その1。瀬谷市民の森は通らず、一里山ゴルフセンターの西を流れる。国土地理院の地図を見ると、この先も300mほど上流まで川が続いているが、途中で涸れているようだ。

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源流その2。一里山ゴルフセンターの東側を抜け、200mほど上流の場所だ。きれいに草が刈られているので、源流というより水路のようだ。

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源流その3。瀬谷市民の森に入り600mほど遡った、旭区に近い場所だ。源流と呼ぶにふさわしい景色である。

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瀬谷区市民の森。「市民の森」とは、昭和46年度からスタートした、横浜市独自の緑地を保存する制度である。緑を守り育てるとともに、山林所有者の協力を得ながら市民の憩いの場として利用されている。令和2年4月1日現在、47か所(約550ha)の市民の森がある(横浜市ウェブページ)。源流付近には、整然と植林された杉が立ち並んでいる。

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三つの源流が合流している場所で、住所は瀬谷区東野77あたり。左から源流1、正面から源流2+3が、この場所で合流し右に流れていく。

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赤関おとなり橋は、瀬谷区宮沢三丁目付近にある木造風の橋だ。お寺で見かける輪廻車のような金属製の輪が親柱に2つずつ、合計8つ取り付けられている。「はまれぽ.com」の記事「お隣?音鳴り?知る人ぞ知る瀬谷区にある音が鳴る橋「赤関おとなり橋」の正体は?」によれば、これは「鳴り車」というもので、中には硬質のプラスチックが入っており、車に使われている金属の種類によって音色が違う。

写真右上の鳴り車は、こんな音がする。

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おとなり橋の向こうは河岸段丘のような丘になっていて、そこに宮沢神明社がある。「新編相模国風土記稿」には、宮澤村の鎮守と記載されている。由緒によれば、寛永年間(1624~1644)に宮沢村の開拓が行われたので、その頃に創建されたのであろう。社殿は安政4年9月の建造(神奈川県神社誌)だから、歴史的建造物だ。

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おとなり橋から300mほど下流には、貯留容量: 48,650m3の宮沢遊水地がある。ここのシンボルが、めがね橋だ。1998年建造で、横浜でも有数の美しい橋である。写真の左下に見える白い植物は、半夏生だ。

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めがね橋から300mほど西、13m登ったところに「宮沢六道の辻」がある。横浜市瀬谷区のウェブページに

6本の道が放射状に延びた場所で、坂東三十三観音札所の星の谷観音と弘明寺観音を結ぶ道の分岐点となっています。六道とは、仏教でいう「地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人間道・天道」のことで、その別れ道を六道の辻といいます。地蔵菩薩が六道からの救済を行うと考えられていました。

と紹介されている。地図で見ると、放射状の道がよくわかる。

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いずみ中央駅付近の風景。高架を相鉄いずみ野線が走る。

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いずみ中央駅から少し下流に、宮澤家の防風垣がある。泉区のウェブページで、

開発前の和泉川沿いは水田が下流まで続いており、環状4号線方面からの西風も強かったはずです。屋敷の防風垣としていつ頃この「もちの木」が植えられたのか、当主の宮澤弘氏も不明と言います。樹勢から2~300年は経っているでしょう。

と紹介されている。

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開発が進む泉区も、かつては水田地帯だった。当時の面影を偲ばせる場所だ。

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中和田南小学校から赤坂橋を渡った少し先、四ッ谷交差点のそばに第六天神社という小さな神社がある。この神社には酒湧池があり、昔話が伝わっている。

昔、池の近くに孝子がいて、池の水を樽に汲み取って父に飲ませていた。ある日、里人が樽をさげてきた孝子にあった。どこから酒を買って来たのかと尋ねると孝子は、この山奥の池の水が、うまい酒であるので、汲み取って父に飲ませているという。里人は大いに喜んで、大樽に汲み取って金もうけをしてやろうとしたところ、その酒はたちまち、ただの水になってしまった(「いずみ いまむかし」泉区小史発行委員会)。

これが、酒湧池らしい。

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和泉川は、境川遊水地で境川と合流するが、遊水地の東側に「天王森泉公園」がある。ここには、横浜市認定歴史的建造物である旧清水製糸場本館の天王森泉館(てんのうもりいずみやかた)が保存されている。明治から昭和にかけて、和泉川流域には20社の製糸場があった。くわしくは、公園のウェブページをご覧いただきたい。

https://www.tennoumori.net/

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このあたりで、以前キジやヒバリに出会った。これは2015年の写真だが、今でも生息しているらしい。

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和泉川と境川が合流する、境川遊水地公園だ。境川遊水地は、俣野遊水地、下飯田遊水地、今田遊水地の3つの遊水地によって構成され、合わせて約30haの広さを有し、約90m3/sの洪水調節を行うことができる。とにかく広い。周囲を1周すると4.5kmあるのだ。

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境川との合流地点。左が境川で、右が和泉川だ。中央の水門は、ビオトープにつながっている。

(2021年7月記)