横浜の川を歩く23 鳥山川

鳥山川(とりやまがわ)は鶴見川水系一級河川で、横浜市神奈川区羽沢町を源流として八反橋の手前で鳥山川左支川(ひだりしせん)と合流し、港北区新横浜で鶴見川に流れ込んでいます。国土交通大臣管理が1,870m、横浜市長管理は2,310mですが、普通河川も含めた総延長は5,500mほどです。

このあたりは江戸時代に鳥山村と呼ばれていましたので、それが名前の由来なのでしょう。

鳥山川の源流は、相鉄バスの坂下バス停から少し先、東海道新幹線の高架下にあります。バス停の名前でもわかるように、ここから上星川まで上り坂が続きます。この先は雨水管とつながっています。

源流から600m、青蓮寺付近です。

神奈川生花市場付近では、東海道新幹線の下を横断しています。鳥山川は新幹線と並行しながら、2kmほどの間に高架を4回もくぐります。

横浜市営バスの天屋停留所付近は、川が整備されています。左手の高架は、環状2号線です。

鳥山川左支川と合流する三角地帯に、鳥山川遊水地があります。44000m3を貯留できる、2段式プールのような貯水池が地下に設置されています。

貯水地の上は「三枚町第三公園」で、この下に大規模な貯水池が隠れていることを知らない人も多いでしょう。写真の男性が見おろしている場所を鳥山川が流れており、増水した雨水を引き込む横越流堤があります。

鳥山川本川と左支川の合流地点です。トンネルから流れ込んでいるのが支川で、鳥山川遊水地から撮影しています。

鳥山川左支川の源流です。保土ケ谷区神奈川区の境界が分水嶺になっていて、神奈川区羽沢町の「羽沢松原公園」付近から流れ出しています。

源流付近は荒れた状態ですが、左が歩行者道になっていて、200mほど先のバス通りに続いています。

鳥山川左支川は、環状2号線の八反橋と国道16号の梅の木をつなぐバス通りに沿って流れています。ここは源流から500mほどの地点。

羽沢の道祖神です。幹線道路から一本はずれた細道に鎮座していますが、過去には、この道が主要路だったのでしょう。坂の先には羽沢富士もあります。

羽沢富士です。富士塚は富士山を模して造営された小山で、気軽に富士登山などできなかった江戸時代の人たちは、富士塚に登ることで富士参詣を疑似体験していたのです。「はまれぽ」によれば、横浜には40基ほどの富士塚があったそうで、有名な川和富士、山田富士、池辺富士には私も登りましたが、それぞれ趣が違って楽しめました。

横浜市議会議員であった故福田進氏は、神奈川区に残る三ヶ所の富士塚を、「この富士塚のすぐそばに住む私の友人は、6月1日の浅間様のお祭りには「富士詣」といって、仲間6人と白い行衣に手甲脚絆で数珠を掛け、杖をついて鈴を鳴らしながら3か所の富士塚にお参りをしています。戦前には、大勢で羽沢、中村、熊野堂(最勝寺)、小机、東本郷、鴨居と巡礼し、芝生村浅間下(西区浅間町)の浅間神社で最終のお参りをしたそうです」と、ブログで紹介していらっしゃいます。

源流から約1700m下流第三京浜道路の下です。

支川との合流地点から500mほど下流で、川上を撮影。左手の片倉地区は河岸段丘になっていて、高低差が15mほどあります。

新幹線の高架を抜けたところで、右から流れ込む砂田川と合流します。この先は岸根の交差点で、新横浜の市街地が近づいてきました。

鎌倉時代初期の武将であった佐々木高綱は、宇治川の戦いに出陣したとき、源頼朝から賜った名馬生唼(いけづき)を駆って先陣の功を上げました。「新編武蔵国風土記稿」には、以下のように書かれています。

「駒形社 字稲荷下にあり。小祠なり。相伝ふ昔佐々木高綱が乗馬生喰(生唼のこと)といへる駿足の死せしとき爰へ埋みて神に祀れりと」

それが、この馬頭観世音堂です。

「新編武蔵国風土記稿」では、鳥山の地に佐々木高綱の所領があったことも伝えています。そのとき、この地を管理したのが目代の鳥山左衛門等で、彼の名が地名の起こりともいわれています。また、水田の中に島のような陸地があって、「嶋」を偏とつくりに分けて鳥山と呼んだとの説も紹介しています。

高綱は「平家物語」や「源平盛衰記」にも登場する名高い武士です。地域からも愛されているようで、ビールなどがたくさん供えてありました。

鳥山川の上を、緑ラインの横浜線が通り過ぎていきます。

又口橋から100mほど下ると、川のほとりに地蔵尊の祠があります。昭和51年3月に出版された「港北百話」に、地域の言伝えとして、この地蔵尊の由来が語られています。その内容を要約すると、次のとおりです。

天保の大飢饉のおりに多くの乞食が餓死したため、ここに埋葬して墓標の松を植え、この松を乞食松と呼んだ。それから時を経ずしてひとりの乞食僧が鳥山川の土手に住みつき、村の家々を回って仏法の功徳を解いた。この僧は空腹と虫歯に苦しみながら亡くなったが、いまわのきわに「我れ虫歯に悩むこと積年である。後世同じ病を患うもの、我を祈らばまさに利益を与えるであろう」ということばを残した。僧を敬っていた村人は、彼を名僧か地蔵菩薩の化身ではないかと思い、乞食松のところに埋めて地蔵尊を安置し、手厚く葬った。
その後、お地蔵様にはご利益があるという話が広がり、特に虫歯に悩む人にはよく効くといわれた。お参りして願をかけるとき、地蔵様に乗っている小石を借りて痛む歯のところをさすると、たちまち治ってしまう。お礼として、おにぎりや花、線香を手向けるとともに、小石を倍にして返したそうだ。

天保の大飢饉江戸三大飢饉のひとつで、天保7年頃をピークに、125万人以上が亡くなったといわれています(ウィキペディアより)。地蔵尊天保13年12月建立と刻まれていますので、年代は合致しているようです。

乞食松地蔵尊の祠は河川改修のため現在地に移動し、側に植えられている松は二代目だそうです。地域の信仰は今でも篤いようで、卒塔婆が供えられ、植栽も整備されていました。

源流から新横浜の手前までは遊歩道や水遊びのできる場所がほとんど無く、見どころの少ない鳥山川ですが、横浜線を抜けてから鶴見川に合流するまでの1200mは景色が一変します。

左前方に巨大宇宙船のような日産スタジアムがそびえ、そのまわりには広大な新横浜公園(多目的遊水地)が広がり、河畔右手のグリーンベルトには開放的な公園があって、河口まで続いています。横浜アリーナ新横浜ラーメン博物館などの名所もあり、スポーツや行楽の人たちがたくさん行き交う、華やかな空間です。

ワールドカップ大橋から、鳥山大橋と三角橋をのぞむ。右手の建物は,横浜労災病院です。

鶴見川がゆったりと流れています。労災病院の向こうに日産スタジアム、はるか先の右手が小机城址です。右端に見える白い塔は、高速神奈川7号横浜北線の新横浜換気塔です。2017年度のグッドデザイン賞を受賞しました。

左前方に見えるワールドカップ大橋のあたりが鳥山川の河口になりますが、植物が繁茂して、川がまったく見えません。

(2022年7月記)