横浜の川を歩く8 平戸永谷川

 

平戸永谷川は、境川水系の二級河川だ。「横浜の川を歩く2 馬洗川」で紹介したとおり、上流は馬洗川で、市営地下鉄上永谷駅付近の馬洗橋に入ったところから、平戸永谷川に名前が変わる。二級河川なので通常なら神奈川県の管轄だが、特別に横浜市が管理している。平戸永谷川には、支流として芹谷川、川上川、平戸川が流れ込んでいるので、これらの川も合わせて紹介する。

 

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馬洗橋に架かる人道橋の上から撮影した、下流方面の風景だ。平戸永谷川は写真の左下から馬洗橋に入り、直角に曲がって環状2号線の中央を流れる。中央分離帯が緑地になっているが、そのすぐ先から地上に現れている。

 

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馬洗橋から400mほど下った所に、永谷天満宮がある。祭神はもちろん菅原道真だ。明治六年には村社となった。新編相模国風土記稿には大略以下のように書かれている。

天神社の縁起によれば、大宰府に着任した道真公は延喜二年、自分の姿を模刻した一寸八分の彫像を作って息子の淳茂に与えた。その後彫像は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、この地の領主で永谷郷に住んでいたといわれる藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、社殿を造営し、この彫像をご神体として安置したそうだ。

 

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永谷天満宮横の歩道橋から上流方面を望む。手前に橋、その先には人道橋が見えるが、両側を道路に塞がれ、利用することができない。

 

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平戸永谷川に架かっている、通行禁止の上永谷人道橋。昭和63年に完成している。道路の向こうにある永野小学校(右端の建物)への通学路だったのだろう。環状2号線が全面開通してから自動車の走行量が増加したため、児童への安全を配慮して歩道橋を建設し、歩道を閉鎖したらしい。

 

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両側に遊歩道が整備され、散策する人が多い。川岸にはたくさんの河津桜が植えられており、ひと足早い春の訪れを知らせてくれる。2月下旬が見頃だ。メジロが群れて蜜を吸う桜が一本ある。その木を探してみるのも楽しい。

 

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馬洗橋から1500m、小高い丘の上に神明社がある。公式サイトの由緒には「永禄元年正月(皇紀二二一八・西暦一五五八)住民が合議し、 天照皇大御神を守護神と崇め、村の中心に当たる当地にお祀りしたもので、 新編相模風土記には、「神明宮、永谷村の鎮守とす。祭礼十一月十六日村持」とある。 村持とは村民の代表が経営することを示している」と書かれている。

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神明社から永谷川を見下ろす。細い参道だが、祭礼のときは橋の両側に食べ物の屋台が建ち並び、賑わいを見せている。

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カルガモをよく見かける川だ。

 

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芹谷川と合流する。右が永谷川だ。橋の上は高架になっていて、環状2号線が走っている。左手150m先には国道1号線の平戸交立体差点がある。

 

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合流地点の左には、広大な平戸永谷川遊水池がある。奥に見える白いフェンスが永谷川の向こう岸で、増水時には手前の越流堤を越えて遊水池に水が流れ込むようになっている。遠くに見える建物は、東戸塚の高層マンション群だ。

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カワセミやカワウが現れることも。

 

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国道1号線赤関橋交差点。永谷川は道路の下を抜け、画面の奥へ流れていく。左の道は旧東海道で、新編相模国風土記稿によれば、江戸時代にも赤関橋という土橋が架かっていた。また、永谷川は、このあたりでは赤関川と呼ばれていたそうだ。

 

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川上川と合流する。全長4920mのうち、3500mまで下ってきたところだ。

 

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JRと並行して流れる。走っている電車は横須賀線だ。川の右側が1kmほどの遊歩道になっており、天気がいい日には、散歩やジョギングをする人でにぎわっている。

 

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右から流れていくのが阿久和川。平戸永谷川は、ここから柏尾川と名前を変え、7km先で境川に合流する。

 

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平戸川の源流。住宅地の真ん中なので、源流の趣は皆無だ。左に下ると旧東海道で、200m先に品濃一里塚がある。

 

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平戸川は住宅地の裏手をひっそりと流れていく。

 

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国道1号線と並行して流れる。全長3km弱の平戸川で、一番目立つ場所だ。

 

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永谷川と合流する。平戸永谷川遊水池のところだ。

 

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芹谷川の源流は、谷底のような場所にある。坂を下りきった右手だ。

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近隣の雨水管から流れ込む排水が源流となる。

 

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暗渠になっている場所が多い。ここは、川の痕跡がそのまま残っている。

 

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芹谷川の永戸人道橋には水位計と監視カメラが取り付けられ、横浜市がデータを常時発信している。

横浜市防災情報

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水位計とカメラが設置されている理由は、川がくの字にカーブしており、豪雨時には氾濫する危険がある場所だから。護岸がかさ上げされ、氾濫対策も完了した。あと300mで永谷川と合流する。

 

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川上川は二つの流れが合流している。こちらを川上川右支流と仮称する。源流は東戸塚から二俣川に抜ける山越えの道、戸塚カントリーの手前にある。源流は斜め左の先に伸びているが、私有地で立ち入り禁止なので入ることができなかった。いずれにしても、このあたりが源流である。

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霊園の看板から左の細道に入り、少し進んだあたりが源流だ。

 

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川上川左支流の源流。こちらもまだ先がありそうだが、これ以上進むことができない。湘南医療大学の裏手、十愛病院の横だ。

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正面の十愛病院を左から回り込むようにして川は伸びているが、湘南医療大学の拡張工事のため見ることができない。

 

 

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都会と思われがちな東戸塚だが、駅のすぐそばには牧場があり、30年ほど前は牛糞の匂いが漂っていた。川上川左支流は、牧場の裏手から暗渠になり、東戸塚駅東口バスターミナル前の道路の地下を流れている。

 

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JR東戸塚駅東口。国土地理院が提供している1960年代の空中写真で東戸塚付近を見ると、川上川左支流がバスターミナルの先、西武デパート(正面肌色の建物)の前を横切って流れていたことがわかる。

maps.gsi.go.jp

 

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林立するビルの中に、こんもりとした白旗山公園がある。ここに鎮座する品濃白旗神社は、源義経を祭る神社だ。由緒によると、「白旗」の名がつく神社は全国で80あまりを数えるが、義経を祭る神社は8社しかないそうだ。創建は康元元年(1256)とのこと。

新編相模国風土記稿には「白旗社。村ノ鎮守トス。頼朝ヲ祀ルトイフ」と書かれており由緒とは違う。祭神が義経である文献の裏付けがあるのだろうか。

平成19年(2007)、不審火により全焼したことは当時ニュースになった。氏子たちの尽力により5年後に再建された。

 

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東戸塚の繁華街を外れたところで、川上川は再び姿を現す。聖ローザクリニック横のバス通り沿いだ。ここでは右支流と左支流は合体して一本の川になっている。過去の空中写真で確認すると、流出口のすぐ手前、横断歩道のあたりから右支流が合流しているようだ。ここから1400m下って平戸永谷川に合流する。

(2020年11月記)