横浜の川を歩く16 阿久和川

阿久和川(あくわがわ)は境川水系の二級河川だ。瀬谷区三ツ境付近を源流として泉区・戸塚区と3つの区をめぐり、柏尾川に至る延長5,510mの川である。主な支流として名瀬川(なせがわ)と子易川(こやすがわ)が知られているが、今回のレポートでは子易川をあわせて報告し、名瀬川については後述したい。

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相模鉄道三ツ境駅にほど近い、4本の道路が集中する場所。「瀬谷の史跡めぐりガイドブック」(瀬谷区役所地域振興課:2019年発行)によれば、かつて三ツ境駅の南側に阿久和川源流の鎌取池があり、池の全長約291m、幅は約42mだったと書かれている。埋め立てられた池の場所は特定できないようだが、私は上に掲載した写真のあたりが鎌取池跡ではないかと思う。

下の図をご覧いただきたい。これは、国土地理院の地図で、標高差に陰影をつけてある。凹んでいる部分を水色で囲い計測すると、資料に記された池の広さとほぼ合致するのだ。くねくねと並行する2本の道路が、鎌取池の境界線だったのではなかろうか。

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鎌取池(かまとりいけ)の由来については、昔話が伝えられている。池のまわりの草を刈っていた若者の夢に娘が現れ、草を刈られては困るから鎌を預からせてくれというので、鎌を渡すと娘は消えてしまった。この娘は池の主である大蛇の化身だった。というお話で、横浜市瀬谷区のウェブページにも掲載されている。

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横浜市の公共下水道台帳図「だいちゃんマップ」を見ると、三ツ境駅方面から雨水管を通って流れてきた川は、この場所で地上に顔を出す。400mほど下流でふたたび暗渠に入り、1.5km先の熊野神社を過ぎたところで、やっと川らしくなる。

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阿久和川(暗渠)から300mほど東に離れたところに、旧大岡家長屋門がある。泉区から移築された安西家母屋とともに長屋門公園として整備され、市民に親しまれている。建造当初、二階は蚕室として使用されており、付近には2社の製糸場があった。養蚕が盛んだった明治期の繁栄ぶりを偲ぶことができる(「瀬谷の史跡めぐりガイドブック」瀬谷区役所地域振興課:2019年発行)。なお、「ガイドブック」には明治17年築と書かれているが、横浜市の歴史的建造物一覧では、建築年代を明治20年(1887)としている。 

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阿久和熊野神社は、平安時代からこの地に祀られていたと伝承される、由緒ある神社だ。明治6年(1873)に建てられた本殿は見事な彫刻で飾られ、例大祭では湯立神楽が奉納される。昭和9年(1934)には神楽殿も建立され、昭和30年代まで地芝居が演じられていたそうだ(横浜市教育委員会文化財課)。

暗渠を流れていた阿久和川は、熊野神社横から地上に姿を現す。 

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瀬谷区を過ぎて泉区に入ると川辺の景色が一変し、遊歩道が整備され、公衆トイレも完備されている。区によってずいぶん違うものだ。川の左手にある森は、新橋天神の森公園で、道の先に見えるのは中丸家長屋門だ。2001年に、横浜市の歴史的建造物に指定された。中丸家は阿久和村の名主であり、明治期には戸長を務めた名家で、養蚕業によって発展した。現在もご家族がお住まいなので内部の見学はできないが、外観だけでも一見の価値がある。 

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阿久和川の上を、相模鉄道いずみ野線が走る。源流から4kmほど下ったところだ。 

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親水公園「集いのまほろば」だ。泉区のウェブページで、「中央部には「集いの橋」と名付けられた、立体的に櫓を組んだ円形の木製の橋があります。不動橋から新明神橋までの間に、5つの「まほろば」があり、川沿いには歩道があり、せせらぎの音を聞きながら川辺を散歩するのに最適です。」と紹介されている。 

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階段状に合流している右の川が子易川だ。

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子易川は、相模鉄道緑園都市駅に近い子易川遊水池を源流として、横浜緑園総合高校、岡津中学校、岡津小学校の横を流れて阿久和川に合流する、全長1.3kmほどの川だ。

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 名瀬川が合流する横浜新道矢部インター付近には、水位計が設置されている。ここから600m下流で平戸永谷川、1km先では舞岡川と合流するから、豪雨のときは増水が心配される場所なのだ。

河川カメラ情報地点詳細(現在) 

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この写真は、柏尾の大山道道標だ。

江戸時代には大山信仰が盛んで、主要な参詣道路が12あった。そのうちのひとつが「柏尾通・戸田通大山道」である。横浜市戸塚区柏尾で東海道から分かれ、岡津・長後・用田を経て相模川の戸田で渡船して大山に向かうルートだった(川島敏郎「大山詣り」)。大山道は不動坂信号手前で東海道から分岐するが、ここに不動尊(道標)が建っている。この先から岡津までは阿久和川と並行しているので、あわせて紹介したい。

祠に祀られている道標は、石造りの不動明王像で、正徳3年(1713)の建立だ。「従是大山道」の道標は寛文10年(1670)のもので、他に2基の道標と灯籠、庚申塔がある(横浜市歴史博物館ウェブページより)。

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手作りの「コロナを退治する不動明王護符」が配布されていたので、ありがたく頂戴した。

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右から流れるのが阿久和川で、左は平戸永谷川だ。二つの川が合流したところから柏尾川と名を変え、戸塚、大船、藤沢に至り境川と合流する。

正面に見えるトラス橋は、国道1号戸塚跨線橋だ。大磯町に居住していた吉田茂首相が、東京へ往復するとき戸塚駅踏切が渋滞することに業を煮やして、昭和28年(1953)に建設を決めたバイパス道路である。ワンマン宰相とあだ名された吉田茂の名を取って、ワンマン道路とも呼ばれている。

箱根駅伝2区の歴史に名を残す、東海大学エースの村澤明伸選手に「キツくて泣きそうになった」と言わしめた急な登りがここから始まる。

(2021年5月記)