横浜の川を歩く10 帷子川②

帷子川(かたびらがわ)は横浜市旭区を源流とし、横浜駅東口までの約17kmを流れる二級河川だ(「横浜の川」横浜市道路局河川部)。鶴見川大岡川と並ぶ、横浜を代表する河川である。

今回は、帷子川の中流域である鶴ヶ峰から星川までを、支流の中堀川・くぬぎ台川・新井川・二俣川菅田川とあわせてレポートする。また、帷子川分水路についてもふれてみたい。

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上川井付近を源流とする帷子川は、 鶴ヶ峰駅入口交差点の手前で二俣川と合流し、「帷子川捷水路トンネル」に入る。100m余のトンネルを抜けて再び姿を現した。蔦のカーテンでよく見えないが、直径10mほどのトンネルだ。

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鶴ヶ峰地区を中心とする帷子川周辺は、畠山重忠の伝説が多く残っている。それは、新編武蔵国風土記稿に「旧跡古戦場 鶴ヶ峰ノ辺ヲイヘリ元久二年畠山次郎重忠鎌倉ヨリ討手北條相模守ト合戦シテ討死セシ所ナリ」と書かれているとおり、ここが畠山重忠終焉の地だったからだ。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』によると、

「畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれた。」と解説されている。

また、「【特別展】畠山重忠 -横浜・二俣川に散った武蔵武士-」(横浜市歴史博物館)には、

畠山重忠は今ではほとんど忘れられた存在だが、「吾妻鏡」で清廉潔白、誠実、豪傑という評価がなされ、鎌倉時代の「畠山物語」をはじめ、お伽草紙、歌舞伎、浄瑠璃、浮世絵などで取り上げられ、重忠伝説は各地に伝えられた。1都1道1府26県に、200カ所を超えるゆかりの地があるとされている。
近代になると、明治政府の方針で仁義忠孝の教えを説くために畠山重忠の物語が「幼学綱要」に取り上げられ、児童・国民に広められた。

と述べられている。

「水辺からのレポート 横浜帷子川をゆく」によると、この地域では、江戸末期まで畠山重忠の事績について関心が薄かったらしい。しかし「嘉永5年(1852)、今宿村清来寺の住職宥欣は重忠の武勇を称えて「吾妻鏡」の内より重忠に関係のある箇所を仮名書きにし、あわせて近在の人々に呼びかけ、この地に果てた重忠追悼の和歌70余首を「夏野の露」という巻物にまとめている。この後、重忠は多くの人々によって手厚く祭られるようになった。」そうだ。

昭和2年(1927)刊の栗田勇著「畠山重忠」には、現在知られている史跡などがすべて載っているから、この頃には畠山重忠ゆかりの地として有名だったのだろう。いくつかを紹介する。

首洗い井戸と書かれた杭が、旭区役所の裏手にある。旭区観光協会の説明板によると、「重忠公の首を洗い清めたといわれる井戸があった」そうだ。

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ほぼ同じ場所にあるのが首塚。重忠公の首が祭られたといわれている。

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駕籠塚。帷子川から少し離れた丘陵地、鶴ヶ峰配水池の裏にある。碑文によると、重忠の身を案じた内室が秩父から駆けつけたところ、この地で悲報に接して悲嘆慟哭し、駕籠に乗ったまま死去した。その霊を弔うため、塚を築いたそうだ。

畠山重忠関係の史跡・伝説は、他に六ツ塚・霊堂(薬王寺境内)、すずり石水、隠れ穴、矢畑・越し巻き、さかさ矢竹、万騎が原、越し場、鐘楼塚、馬頭観音がある。(「旭区郷土史」昭和55年)

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捷水路トンネルから下流方面を望む。右下がりの橋は、鶴ヶ峰バスターミナルに通ずるバス専用道路。

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かつての帷子川は、氾濫をくり返す暴れ川だった。そこで横浜市は洪水対策として、帷子川の河道をまっすぐに付け替えるショートカット工事を昭和45年から56年にかけて行った。それにより、水の流れなくなった河道がいくつか生じた。(「かながわの川(上) 神奈川県高校地理部会編」1980年 神奈川新聞社

この旧河道を利用して、「帷子川親水緑道」「鎧の渡し緑道」「田原橋公園」「逆田橋公園」などの公園が整備されている。冒頭に掲げたgoogle地図で確認していただきたい。整備前の帷子川が激しく蛇行をくり返していた様が見て取れるだろう。

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鶴ヶ峰の雑踏を抜けて「帷子川親水緑道」に足を踏み入れると空気感が変わり、清々しい気分になる。別世界だ。

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目の前をアオサギが通り過ぎていく。

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吊り橋が架かっていた。

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緑道を抜けた先の住宅街だが、ここもかつての河道だ。馬蹄形にカーブしている。

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帷子川に戻ると、コサギが羽を休めていた。集団で5羽いるのは珍しい。

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帷子川分水路が見えてきた。国道16号線下白根橋からトンネルで横浜駅西口付近の派新田間川(はあらたまがわ)に接続し、帷子川の水を横浜港へ放流する分水路で、治水対策のために整備された。トンネル区間の長さは5,320mになる。詳しくは、神奈川県のホームページをご覧いただきたい。

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分水路から400mほど下流の橋には、かつて暴れ川だった頃の名残だろうか、浮き輪が備え付けられていた。川の先に見えるのは、相模鉄道の高架だ。

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鷲山橋から環状2号線を撮影。陣ヶ下渓谷からの流れが高架の下で合流しているはずだ。

鶴ヶ峰から星川あたりまで、昭和20年代後半から40年代にかけて「横浜スカーフ」で知られる捺染(なっせん)業が盛んだった。生地に染め付けた染料などを洗い落とすため、帷子川が利用されたのだ。昭和20年代までは、染め付けた生地を川に晒す風景が見られたという。その昔、相鉄線沿線にある小学校の社会科見学先は、捺染工場が定番だった。しかし、当時を物語る痕跡は、もはやどこにもない。「横浜捺染―120年の歩み」(日本輸出スカーフ捺染工業組合 1995年)で、繁栄の様子を偲ぶのみである。

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星川駅を過ぎたところにある川辺公園。奥に見えるのが帷子小学校で、右岸には保土ケ谷公会堂・図書館がある。保土ケ谷区民は、帷子川といえばこのあたりを思い浮かべるだろう。

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ここからは、支流を紹介したい。まずは、中堀川だ。「神奈川の川(上)」によれば、白根大池の水を帷子川に流すために築かれた川で、宝永4年(1707)に下白根村の名主市左衛門が中流域約540mをまっすぐに改修したそうだ。
だから、源流は上白根大池公園と考えてよいだろう。

全長約3,000mのうち、白根神社の手前から帷子川と合流するまでの850mが二級河川に指定されている。

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紅葉が美しい上白根大池公園の東北端に源流がある。

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中原街道の下を抜け白根通りに沿う道は「中堀川プロムナード」と名付けられ、お年寄りの散歩道になっているようだ。

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2kmほど下流に、有名な「白根のお不動さん」がある。神仏分離令により明治3年に白根神社となったが、本尊は一寸七分の不動明王座像だ。八幡太郎源義家前九年の役で戦うとき、この座像を兜の中に納めて勝利した。その礼として、鎌倉権五郎景正に命じ堂宇を建立し祀ったのが、白根神社の前身である成願寺の起源と伝えられる。(「新編武蔵国風土記稿」より)

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境内には大滝、小滝と呼ばれる二つの滝がある。

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国道16号線の白根不動入口バス停あたりで帷子川と合流する。

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次に紹介するのはくぬぎ台川だ。全長1,190mで、準用河川に指定されている。相鉄線鶴ヶ峰駅から環状2号線に向かってまっすぐに伸びた道路が、鶴ヶ峯小学校の先で急な下り坂になっているが、下りきったところが、準用河川くぬぎ台川の始点だ。ここから先は暗渠になっている。実際は、この先も市沢や左近山方面に枝分かれしながら川は続いていて、神田(じんでん)公園も源流の一つなのだろうが、そこまで追っていくときりがないので、ひとまずこの場所を源流としたい。

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源流付近の風景。川は、新幹線の高架に沿って流れていく。ガードをくぐった左側には、鶴ヶ峰駅に続く急な上り坂がある。

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くぬぎ台川・帷子川の合流地点。西谷駅に近い、東海道新幹線のガード下あたりだ。

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新井川は全長が2,000m以上の川だが、そのうちの800mが準用河川となっている。「稲荷通り」バス停あたりから二股に分岐し、一方は新井小学校付近が源流であるが、今回はもう一方の源流を追ってみた。

横浜市旭区中白根四丁目4の外れ、「特別養護老人ホームさわやか苑」の手前が源流になる。全長2,400mほどだ。

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帷子川と合流する300mほど手前で、帷子川分水路の上を流れている。川の上を流れる川だ。不思議な光景である。

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新井川は、国道16号線の川島町交差点付近で帷子川に合流する。

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二俣川は旭区の中心地である相鉄線二俣川駅の下を流れる全長5,000mほどの普通河川だ。このあたりは起伏に富んだ地形であるため、毛細血管のようにたくさんの小川が二俣川に流れ込んでおり、源流を特定することができない。今回は、そのなかでも比較的距離が長い流れを源流と見立てて取材した。

ここは横浜市旭区善部町89あたり。前に見えるのは東海道新幹線のガードで、その南側になる。ガードの向こう側にも長さ1000mほどの小川があるが、横浜市の「だいちゃんマップ」によると、この流れは道路地下の雨水管につながっているように見えるので除外した。

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地上を流れてきた二俣川は、相鉄線二俣川駅の手前で暗渠となり、駅の下を400mほど進んで再び地上に姿を現す。

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相鉄線は、2019年11月にJR線と直通運転を開始した。これに先立ち、起点となる二俣川駅はその姿を一新した。以前の二俣川駅しか知らない人は、この写真を撮影している場所がどこか、見当もつかないであろう。渋谷駅と45分でつながる二俣川駅は、都心への通勤圏といっても過言ではないハブステーションに変貌したのだ。

しかし、駅を少し離れると、景色は40年前のままだ。旭区はそういう町です。

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二俣川は、鶴ヶ峰の旭区役所付近で帷子川と合流する。

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菅田川は、道路が渋滞することで有名な国道16号線梅の木交差点から菅田方面に1kmほど遡った、福生寺付近を源流とする川だ。帷子川までの全長でも1,600mほどの普通河川である。この先にも川らしきものはあるが、暗渠が多くて菅田川とのつながりがはっきりしないので、横浜市保土ケ谷区上菅田町714あたりを源流とした。

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菅田川は、暗渠となって帷子川に合流している。

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「帷子川② 鶴ヶ峰から星川まで」はこれにておしまい。長文にお付き合いいただき感謝します。

(2020年11月記)